2023年度 西洋史学部会発表要旨 |
一、 フランク王国におけるスカンディナヴィア人の活動:(八世紀末〜八四〇年) 広島大学 岩本州矢 フランク王国におけるスカンディナヴィア人の活動に関する研究では、伝統的に八世紀末のザクセン戦争から九一一年のノルマンディー公領成立までを一つの時代的な区切りとする。このうち主たる研究対象となっているのは八四〇年以降、ルイ敬虔帝が没して「ヴァイキング」の襲来が激増する時期であり、それ以前のカール大帝期・ルイ敬虔帝期については取り上げられることそのものが少ない。このためこの時期の活動は、活動の発展段階の初期として、あるいは史料上見られる政治的関係が「プロローグ」として単純に描出されるにとどまっている。 このため、今回の報告では、近年八四〇年以降の活動を分析するうえで重要な見方となっている「船団ないし船一隻ごとでの交渉主体としてのまとまり」という視点を敷衍し、『フランク王国年代記』を中心とするフランク史料の再検討によって、前述のような単純化された枠組みに批判的検討を加えることを試みる。 |
二、騎士団によるイベリア半島の領域形成 ―カスティリャ王国辺境のカラトラバ騎士団と諸勢力(一一四七−一二一四 年)― 大阪大学 常震宇 先行研究では、カラトラーバ騎士団が支配領域を確保・拡大していくなかで重視されてきたのは、王権による領地・特権の付与である。しかし、王国の辺境部では、カラトラーバ騎士団とともに、貴族や、トレード大司教、サンチャゴ騎士団などの諸勢力が伸長していたことも忘れてはならない。加えて、騎士団とこれら諸勢力との接点(寄進、紛争、売買契約)から、騎士団領域の形成と拡大を考察する視点は疎かにされてきた。それを鑑みると、騎士団による領域形成は、王権との関係に加えて、キリスト教諸勢力との協調・軋轢・競合を通じても進んでいったといえる。そこで本研究は先行研究とは異なり、周縁勢力との関係を視野に入れ、カラトラーバ騎士団の領域支配の形成過程とその特徴を、諸勢力との交渉に注目して明らかにし、辺境地域における封建社会の形成の一側面を解明するものである。 |
三、前線のチェコ系芸術家たち―ハプスブルク帝国の存続と独立運動の狭間で 京都大学 中辻柚珠 ハプスブルク帝国の解体を戦前のナショナリズムの必然的帰結とする見方が見直されて久しい。近年の多くの研究は、第一次世界大戦勃発の偶発性と戦時中の情勢の変化を重視し、国民国家建国にいたるプロセスを慎重に分析する傾向にある。しかし、これらの研究の多くは政治や国際関係の変化に重点を置いており、文化面に焦点を当てた研究は乏しい。本報告は、一九世紀末からプラハを拠点に活動した「マーネス造形芸術家協会」というモダニスト団体に着目することで、上記の研究史上の空白を埋めることを目指す。本協会は、戦前には芸術の自立性を擁護する立場から急進的ナショナリズムに一定の距離を置いていたが、戦後には民族解放史観を示し、チェコスロヴァキア建国を称揚するにいたった。この変化の過程を、ハプスブルク帝国軍側で戦った芸術家、パリに居て独立運動に加わった芸術家、戦後に建国の神話化に与した芸術家等の経験に焦点を当てつつ、明らかにする。 |
四、19世紀末ラゴス植民地における学校運営に関する一考察 —宗派の違いに着目して— 広島大学 太田淳平 本報告の目的は、19世紀末ラゴス植民地において各宗派の学校がどのように運営されていたのかを明らかにすることである。ラゴスに限ったことではないが、植民地において西洋の学校教育をもたらしたのは、キリスト教宣教師であった。当時のラゴスにおいて教育をめぐり宗派間の対立があったことやイスラーム教徒からの反発があったことなどはすでに指摘されてきた。しかし各宗派の学校運営の具体やキリスト教徒以外の人々への対応について管見の限り十分な検討がなされていない。本報告では、主に当時ラゴス植民地の学校視学官によって作成された年次報告書(General Report)を用い、学校数や児童生徒数、収入と支出、教師の働きぶりなど、宗派ごとに見られる学校運営の状況、そしてキリスト教徒ではない人々の教育がどのように行われていたのかについて明らかにする。 |
五、第一次世界大戦期のアイルランドにおける兵士の経験とナショナリズム 広島大学 瀧川学大 一九一四年に第一次世界大戦(以下大戦)が勃発し、同年八月四日にイギリスは連合国側で参戦した。当時連合王国の一部であったアイルランドもこれに伴い、未曾有の総力戦に参加することとなった。大戦終結後、一九二二年に独立を果たしアイルランドでは、新興国家として国民をまとめ上げるためのナショナル・アイデンティティの構築が進んでいった。その際、イギリス(イングランド・ブリテン)の支配に対するアイルランドの抵抗・闘争の側面が強調された歴史認識がその基軸を構成することとなった。そのため、支配者と見なされたイギリスと共に戦った大戦の記憶は不都合なものとされ、様々な側面で大戦の経験・記憶を黙殺する「記憶喪失」の動きが見られることとなった。本発表では大戦でイギリス軍として参加したアイルランド人兵士に注目し、彼らの経験とナショナリズムとの間の「揺らぎ」を見ていくことで、アイルランドにおける総力戦の様相の一端を確認していきたい。 |
六、ドイツ義勇軍運動の残照と「第三の国」 ―ヴァイマル中期におけるオーバーラント同盟とその機関誌をめぐって― 九州大学 今井宏昌 「第三の国(Das dritte Reich)」がナチズムの「第三帝国」に必ずしも帰結しない思想であったことは、近年のドイツ研究で広く議論がなされている。しかし、「第三の国」が国防思想としての性格を有しており、なおかつドイツ義勇軍運動(一九一八-一九二三)の残照ともいえるヴァイマル中期(一九二四-一九二八)のパラミリタリ(準軍隊)政治と密接な関係を結んでいたことは、これまで「第三の国」研究のみならず、パラミリタリ研究においても断片的にしか論じられてこなかった。そこで本報告では、「オーバーラント義勇軍(Freikorps Oberland)」の後継組織「オーバーラント同盟(Bund Oberland)」に注目し、この組織がヴァイマル中期に刊行した機関誌『第三の国』の成立過程ならびに論調を検討することで、パラミリタリ政治と「第三の国」思想、そしてナチズムとの関係について明らかにしてみたい。 |
七、ナチ・ドイツにおける男性同性愛者に対する迫害~ハンブルクでの事例を中心に~ 広島大学 藤井舜 啓蒙以後、男女の二分的概念化が進む過程で男性の優位性が自明視される一方、「同性愛」概念の登場によって同性愛者アイデンティティが生まれた。しかし近代以前ソドミー行為としてタブー視されていた同性愛行為は異性愛主義的価値観のもと近代以降犯罪化され、ドイツでは刑法一七五条の制定により同性愛が「反自然」なものとして犯罪化され、ナチ党の権力掌握以後は同性愛者の排除が更に強化された。 本報告では、ドイツ・ハンブルクにおける刑事訴追記録を参照しながら、ナチ政権が推進したゲイ男性への「ナチ的」抑圧・迫害の具体的な事例や、司法当局が同性愛者の迫害政策をどのように捉えていたのかを検討をおこなう。そして、刑法一七五条の改悪を経ながら「法の支配」が国家による「恐怖のシステム」へと変質していくプロセスについて考察する。 |
八、「クロアチア独立国」(一九四一-一九四五)におけるセルビア正教徒住民の強制移住 ―ナチス・ドイツの広域秩序計画との接点において― 慶應義塾大学 清水明子 第二次世界大戦中にナチス・ドイツが建国を支援した「クロアチア独立国」(一九四一-四五年)は、ナチス・ドイツがユダヤ人を排除した民族共同体の構築を目指したのと同じように、セルビア正教徒住民を排除しながらクロアチア国民の創造を推進した。クロアチアはセルビア人の「三分の一を殺害、三分の一を追放、三分の一をカトリックに改宗させる」というスローガンに代表される住民政策を実施したが、それはナチスのホロコーストより早く始まり、迫害の状況はナチスの親衛隊をも驚愕させるものであった。本報告は、一九九〇年代のユーゴ内戦以降も研究の対象からほぼ除外されてきた、クロアチアの地域社会におけるセルビア系住民の強制移住の実態と特徴を考察することを目的とする。その枠組にはクロアチア独立国の法制度のみならず、ナチス・ドイツのヨーロッパ広域秩序計画が存在することを示すであろう。 |
九、イギリスにおける「特別な教育的ニーズ」概念形成とその影響 ~「一九七八年ウォーノック報告」の歴史的・社会的背景から~ 広島大学 我妻享 近現代イギリス社会の変化に伴い、障害児者教育は、従来からの障害のカテゴリーを撤廃し、障害を含めた個人的要因と環境要因の相互的作用によって起こる「特別な教育的ニーズ」概念の導入により統合教育へ転換した。保守党教育科学相サッチャーは、障害児者への教育を医学的側面や将来を踏まえて、教育的側面について最も効果的な資源の利用法の再検討するよう諮問し、一九七三年ウォーノック委員会が設置された。その後一九七八年「ウォーノック報告」として、「特別な教育的ニーズ」の概念を導入し効率化により、障害児者教育の充実と教育遅滞児や移民の子どもへの教育に対しても対象を広げた。 本報告では、イギリスにおいて「特別な教育的ニーズ」概念が成立した要因について、歴史的、社会的背景がどのように影響していたのかを明らかし、教育の課題を分析する。また、イギリスの「特別な教育的ニーズ」に倣った日本の「特別支援教育」の差異についても考察したい。 |